私の敬愛する@kuracyanとTwitter上で話をしていたら、彼が「iPadは教育現場にフィットするのでは」というつぶやきがあった。
非常に感じ入るものがあった。
教室で子どもたちが、iPadを持って学習している姿を想像してみた。
なんの違和感もなかった。
そこで、私なりにiPadが持つ、教育現場変革能力について考えてみることにした。
実は私、ひところ「第一人者」と称されていたことがある。いや、第二人者くらいかな。
なんの第二人者かというと、幼児教育へのコンピュータの導入。
えらくニッチである。ニッチだからこそ第二人者になれたのだがww
その頃書き散らかした雑文がこちらに残っているので、酔狂な方は読んでみてください。
そのようなヲタク園長。スチャラカ研究者である俺でさえ、子どもたちひとりひとりがパソコンに張りついている姿は想定しなかった。特に初等(幼児を含む)・中等教育の現場においては。
違和感というか、異物感というか、拒否感というか。
この時期の教育現場では、子どもたちはできるだけナマの経験を通して実感的に学んで欲しいというのと、教室には子どもたちの声が響いていて欲しいという気持ちがある。
うちの園にはクラスごとに1台ずつiMacが置いてある。
「それじゃ言ってることとやってることが違うじゃないか」と言われそうだが、 私にもそれなりの考えはある。
私としてはコンピュータを子どもたちの遊びや生活の「ハブ」にしたいという思いがある。
つまり、コンピュータはいろいろな遊びや活動、生活をつなげていく、あるいは発展させていく接着剤、起爆剤としての位置づけなのである。
コンピュータを学ぶのでもなく、コンピュータで学ぶのでもなく、子どもたちのさまざまな経験を援助する環境としてのコンピュータを模索し続けている。
最近では雑務が多すぎて頓挫しているが。
だから当然、子どもたちひとりひとりに1台ずつコンピュータを持たせるなんてことは絶対考えなかった。そういうやり方(コンピュータが何十台も置いてある教室に子どもたちが行き、ひとりひとりがコンピュータに向かってお勉強をする)をしている幼稚園もいくつかあるが、 そういうところは幼児教育のなんたるかを全く知らないか、園児集めの目玉として導入しているとしか思えない。
そんな私が、子どもひとりひとりがipadを持って学ぶ授業風景を違和感なく想像できた。なぜだろう?
ここで私が想定しているのは、小学校・中学校である。幼稚園についてはまだ検討するべきことがありそうなので、今のところは逃げさせてください
私がまずイメージしたのは、石盤(石板)と石筆である。石盤は、奇しくも噂されていた「iSlate」のSlateだね。ちなみに石筆はslate pencil。
紙や鉛筆がなかったり貴重品だった時代、石盤と石筆がその代わりの役目を果たしていた。明治期の小学校では子どもは石盤と石筆で文字の練習をしたり計算をしていた。
詳しくはないが、ソクラテス時代の哲学者たちも石盤を使って思索をしたり議論をしていたらしい。
とりあえず、iPadは現代の石盤になりうる。というか、充分になっている。
いくらでもメモを取れるし、手紙メモもアプリを入れれば軽くできる。
簡単に消去できるのも、石盤と一緒だ。しかも消去するのに布も袖もいらないし。
しかも。当たり前だが、石盤に書いたものを消してしまえばなにも残らないが、iPadに書いたものはいくらでも保存しておける。
ということで、 iPadはノートだと思えばなんの違和感もない。
が、そりゃなんの違和感もないが、保存機能つきのノートを5万も出して買う奴はいない。というか、ipadの本来の能力はノート機能以外にあると思う。つらつらと、想像してみる。
まずは、情報の共有。
有用な情報を発見した子どもが他の子どもにその情報を提供する、なんてことが簡単にできる。
次に協同学習。
GoogleWaveがうまくいくかわからないが、Googledocでもいいや、クラス全員が参加してブレストしながら一つの目標に向かって学習することができる。
しかもそれは授業時間だけではなくて、自宅で夕飯を食べているときに思いついたアイディアも追加できる。その際にオンラインにしている友だちが意見を述べることもできるのだ。
とにかく、コミュニケーションしながら使うことができるというのが魅力だ。
教室では、iPadを持ち歩いてクラスメート同士が会話しながらそれぞれのiPadに記入したり、情報を交換(Bumpアプリを想像してください) する。家庭に帰っても協同作業ができるし、いざとなったらSkypeでフェイス・トゥ・フェイスでコミュニケーションしながらipadに書き込んでいけるのだ。
興奮して、夢の教室を思い描いてしまった。少し頭を冷やす。
このような教育現場になっていくためにはいくつかのハザードがある。
まず・・・高いね。子どもひとりひとりが購入するのはかなり大変。
それに伴う話だが、だから、公立学校では導入できない。
これは、予算がないということもあるが、指導要領にガチガチに縛られた公立学校では、このような新しいディバイスを使おうという勇気・挑戦の心を持つ教師は希有である。
それでは私立はどうか。高等教育では早期導入がありそうな気がするが、初等・中等教育ではよっぽどのチャレンジャーでない限り、難しいかな。
難しい理由はいろいろとあるのだが、一番大きいと思えること。それは、
パソコンでの初等・中等教育対象の学習ソフトは基本的にドリル学習ソフトに限られていて、初期にipadに参入するアプリもほとんどがそのカテゴリーに入ってしまうだろうと予想される。だって開発しやすいもの。基本的に選択肢を提示し、子どもがどれかを選択したら正誤判定をすればいいだけ。
このタイプのソフト・アプリは教育の視点で見ると「収斂型学習」のツールである。収斂型学習とは、1つの正解に向かってユーザーを導いていく方法である。有名なのは、スキナーのオペラント条件づけ理論に基づくプログラム学習である。
(この辺について詳しく説明するとえらく大変なので、興味のある方はググってください)
しかしそういうタイプのソフト・アプリは個別学習に向いているのだということは理解していただけると思う。
(なんでや?と思った人は、「プログラム学習」でググってください)
逆に言うと、学校という集団教育現場にはフィットしないと言えるのだ。
では、学校教育現場に向いている教育ソフト・アプリはどのようなものか。
それは、正解に収斂するのではなく、知的好奇心に基づいてどんどん発展して学習する探索・発見型ソフト・アプリである。
残念ながら私の能力では具体的にどのようなソフト・アプリかということを提示することができない。
ただ、方向性として例示するとしたら、グラフィカルなLISPといえるLOGO(シーモア・パパート大先生考案)のようなもの。それを今の学習指導要領に適合させることは難しいが、現場の先生たちと研究者、開発者がコラボレートすれば、各科目に適応するアプリを創ることは可能だと思う。
しかもそのようなアプリがたくさん出てくれば、教室でiPadも携えた子どもたちが先生や友だちの間を行き交い、どんどんコミュニケーションしながらお互いに学びを深めていく可能性があるのだ。そしてそのような教育現場になれば、その状況を生かしたアプリを考える人がますます増え・・・と、良質なアプリがどんどん開発されていく。
理想論、夢想といわれるかもしれない。
iPadが発売される前の段階ではその通りであろう。 しかし教育者としての私は、そういう「豊かな」教育・学習場面を夢想したい。iPadという石盤にはそれだけの可能性があると信じたい。
そして、その可能性にチャレンジしたい開発者たちのお役に立てることがあったら最高の幸せである。
森野 憂人
2010年2月6日 at 1:41 PM
!
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全学生にiPad普及が実現すると、どうなるのか。良い方向に妄想してみたい!な朝刊
2010年2月7日 at 8:00 AM
[...] iPadは教育現場を変革させるか | こてつは内臓ではない! 教育現場への導入かぁ。@masasonさんが全学生に最新デバイス導入!と言ってましたね。iPadだと私は思ってますが。 [...]
本日のiPhone/iPadハック術 その2 – リデアラボ
2010年2月7日 at 1:59 PM
[...] ◆iPadは教育現場を変革させるか [...]
共感できる理念、100年先を見据えたビジョンと戦略を – リデアラボ
2010年2月8日 at 7:22 PM
[...] 昨日もちょうどこんな記事をご紹介したばかりですが、二人の子供を持つ親として次世代を担う子供たちへの「教育」には大きな憂いを感じています。 [...]
cotets
2010年3月11日 at 11:45 AM
@hayakou5 教育にも生かせるんじゃないかと。 http://bit.ly/cNoc5D
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Morales32Gale
2010年5月31日 at 4:41 AM
People deserve very good life and business loans or just short term loan can make it better. Because freedom depends on money.